#第2日目|草津−武佐 平成16年(2004)9月19日(日) 天気:晴時々曇一時雨


中山道行程図〜第二日目|草津−武佐


■巨大な一里塚?〜甲山古墳

 先ほどの案内板に見切りをつけて再び街道を歩いていると、なんと探していた甲山古墳がっ!?このとき、ようやくあの案内板が間違いだったと気づいたのだった。なんにせよ出会って良かったと古墳を見学。これは見ての通り円墳。こんなきれいな円墳を見たのは初めてです。6世紀前半のものだそうな。横穴式石室があり、その空間に入った途端説明する声が上部から聞こえてきて、かなりビビりました。

 しかし、この円墳。街道歩きをしているからか、巨大な一里塚に見えてなりません。

こんもりとした様は、一里塚みたい

石室入口 案内板 石室内部 甲山古墳遠景


■ちょっと躊躇してしまうトンネル
ここも天井川
【天井川下のトンネルをくぐります】
 甲山古墳の周りは、きれいに整備された公園になっていたので30分ほど休憩。そしたら、突然どこからともなく何か草を燃やし始めたらしく、黒い煙が・・・ゲホゲホ。耐えきれなくなり公園を後に(しかし、トイレや水道もあり休憩に最適です)。
 先を目指して歩いていると、左手にうっそうとした森があり、参道の奥には篠原神社。旧道の先を見ると、トンネルが。なんとなく夜には歩きたくない雰囲気を醸し出していた。しかし、昼間なので大丈夫。あっという間にトンネルを通過。


■はぅ・・・ついに雨が・・
 トンネルを抜けるとY字路となっているが、ここは左折。ギリギリまで国道合流は避けます(というよりかつての旧道を進むだけ)。ニヤリと笑うイルカポストを左手に、ようやく国道に合流。うぉ・・車の交通が多いにも関わらず歩道がかなり狭いぞ。しかも、悪いことは重なるもので、ここでついに雨がポツポツと。しかも、段々本降りになってきた。空を見上げると、昨日と同じように少ししたら雨脚も弱まるのでは・・という空模様(勘です)。
 そんな折り、左手に渡りの船・ローソン発見。飲料補給兼トイレ借用兼雨宿りを兼ねて立ち寄ることに。10分も経たないうちに外に出て見れば、「やっぱりやんでる!」ついてるぜぃ!
もう少し裏道をゆきます
ここは左折
ニヤリと笑うイルカ
イルカのポスト
ついに雨が・・・
国道8号
雨宿り兼トイレ借用兼飲料調達
コンビニ


■童心に帰る
 再び国道をゆく。拡幅工事を行っている道を横切って、次のコンビニの先のY字路を右折し、裏道へ。騒がしい国道を離れることが出来てホッと一息。と、この辺りも道脇に水路が。ん?なんか赤いものが見えるのでよくよく見てみると、なんとアメリカザリガニが。しかも、こちらを見て威嚇しているザリガニもいる。その割には、ずるずると後ずさりしてるし。小さい頃、良く捕ったもんだなぁ。
 そんなザリガニを見ているうちに、再び国道に合流。蓮のたくさん浮かぶ池を右手に見つつ、500mちょっと国道を歩くと、総合建設販売のお店の先に、「平宗盛胴塚」と書かれた案内板。その矢印の方向を見てみると、ホントにこっち?と思うような草むらが・・
ここは左折
国道を逸れて裏道へ
後ろに下がり続けながら威嚇してました
威嚇するザリガニ
案内に従って
平宗盛胴塚
この道で大丈夫?という道をゆきます
案内板の先はここ


■平家終焉の地
お花が生けてありました
【平家終焉の地】
 意を決して数十メートルほど歩くと、案内説明板とともに右の写真のようなものが。説明版を読んでみると、平家が滅亡したのは、壇ノ浦ではなく、ここ野洲だそうな!(新事実)
 説明版を読んでみると、当時の平家の権力者・平宗盛と息子等は、壇ノ浦で義経に捕らえられて鎌倉近くまで送られるも、追い返されて再び京都へ。その京都への途中、ここ(野洲)で義経が親子の首を切り、胴体を葬ったとのこと。むぅ・・・この時代はあまり詳しくないのだが、これが事実ならば、来年の大河ドラマはどうなるのだろう。
 とりあえず司馬遼太郎の小説「義経」をチェックせねば(これしか関連本を持ってないので)。

■まだまだ義経関連史跡は続く
 平宗盛胴塚を後に街道に復帰。街道は、ガソリンスタンドを通過して、そのまま裏道へ。若干の登り坂が続く街並みは、落ち着いた佇まいを見せていた。途中、右手に明治天皇聖蹟を見つつ、あっという間に国道に再び合流。合流地点のすぐ先に義経が元服した際に使用した水をたたえる池・元服池+石碑があるが、国道の反対側なので、近くで見るときは、国道の横断に注意。この辺りの車の交通量はかなり多いです。
落ち着いた街並み
落ち着いた街並み
かなり巨大です
明治天皇聖蹟
あっという間に国道に合流
再び国道に合流
道路の反対側なので横断に注意!!
元服池


■一旦道の駅に立ち寄る
とてもきれいでした
【まだ新しい道の駅・竜王かがみの里】
 元服池のすぐ近くに、まだ出来て1年も経っていない道の駅・竜王かがみの里。せっかくなのでトイレ休憩を兼ねて立ち寄っていくことに。
 交通量が多い国道沿いに位置しているためか、はたまた日曜の日中という時間帯であるためか、かなり混んでいた。道の駅というと、車を利用している人が多く利用しそうだが、街道を歩いている人も、大変重宝しているのだ。でも、歩いて立ち寄っている人なんて自分以外見たことないけど。


■まだまだ義経関連は続く〜鏡宿にて
かつての間の宿
【交通量の多い国道沿いの鏡宿】
 道の駅を後にして、再び歩き出す。歩道橋下を越えると、国道の反対側・左手に鏡神社。全然車が跡切れないので横断は断念。
 さらに進むと、道の反対側に本陣跡、次いで右側に脇本陣跡、さらに道の向こう側に源義経宿泊の館跡と書かれた石碑などが見られる。案内板には「江戸時代鏡の宿中山道」と書かれているが、おそらく間の宿だろう。実際に手持ちの資料にもそのように書いてあった。

 しかし、さっきから義経関連史跡が多い。さっきからの史跡は、奥州藤原家に向かう途中の出来事だったっけ?(すみません、記憶が曖昧です)
鏡神社
鏡神社
本陣跡
本陣跡
脇本陣跡
脇本陣跡
果たして真相は?
源義経宿泊の館跡


■秋という季節の街道
彼岸花が咲く秋の街道風景
【秋の街道風景】
 鏡宿を抜け、右側にラーメン屋が見えたところで、国道を逸れて右斜めの細い道へ。車一台しか通れないような落ち着いた街並みを抜けると、廻りに家屋はなくなり、田畑の中を歩く道となる。道ばたには彼岸花が咲き、秋という景色を再認識させてくれる。
 最近は、9月と言っても夏の延長のような気候で、秋という季節が好きな私にとっては、秋が短くなってしまっているようで、とても寂しく感じてしまう。しかし、こうやって草花が秋の気配を匂わせていることが、たまらなく嬉しくなってしまうのである。

■のどかな道をゆく
 再び国道に合流。善光寺川を渡ると、左手に「組み合わせの忍者便」と書かれた運送会社の看板。地域特性を反映していて面白い。その先、信号のある交差点で、左斜めの道を進む。西横関地区の集落を抜けると、日野川にぶつかるが、かつての旧道沿いの道はないため、国道に架かる橋を渡るため迂回することに。のどかな道をゆく。その橋の上から見た日野川は、決して大河とは呼べないが、落ち着いた流れを見せていた。
忍者!
運送会社の看板
左の細い道へ
ここは左の道へ
土手を歩きます
日野川の土手
日野川
日野川の流れ


■今昔木曾街道六十九次−武佐−
 広重の描いた絵では、船を二艘縦に並べて、その上を往来者が渡るように描かれている。水量があるときは、普通の舟渡しを行う。ここに橋が架かったのは明治に入ってからだというが、その後国道沿いに橋が架かったため、昭和14年(1939)に撤去されてしまったという。
 なので、現在の風景としては、かつて舟渡しがあったところを同じ構図で撮影。現在は、電線のみが両岸を繋いでいる唯一のものというのは、時代背景を物語っているのではないだろうか。
 ここに石のベンチがあったので、20分ほど休憩。
木曾街道六十九次 武佐 広重作


■西日に輝く黄金色の風景
 身体も休まったので、先を目指すことに。ところが、いきなり進むべき道を間違える。前方に新幹線が通過して、これはおかしいと気づいた。かれこれ1kmくらい無駄に歩いてしまった・・・。ちょっとブルーになりつつ歩くも、背中に受ける西日の美しさに心弾む。最近夕陽を撮影することにこだわっているので、今日は期待できそうで嬉しくなってきた。
 開けたところで、稲穂に西日があたり黄金色に輝いてきれいだったので一枚撮影。

稲穂が西日に輝ききれいです。明日は晴れそうだなぁ



■日が傾き始めた街をゆく
 徐々に日も傾いていく。西横関町と同様に、落ち着いた街並みの続く東横関町の街並みを抜け、再び国道に合流。国道は、相変わらず交通量が多い。道ばたのコスモスなどに目を奪われながら、パチンコ屋の大きな案内板のところで裏道へ。しかし、裏道もほどなく終わり、再び国道に合流。今度は、歩道もなくなり、仕方なく路肩を歩く。前方から路肩を走ってくるバイクに気をつけながら西宿町の信号を右折。
西日を受ける東横関町地区の街並み
東横関町の街並み
日陰に咲いていたけど接写すればきれいに撮れます
秋の花・コスモス
ここを右折(正確に言うと直進に近い)
国道を逸れてまっすぐ
国道8号
歩道がなく路肩を歩きます


■中山道2日目の終了
 裏道に入ったところで振り向いてみると、もう少しで日が沈みそうだ。このままここで日が沈むまで待とうと思ったが、もう少しで本日の歩きも終了なので、そこまで行ってからにしよう・・・と考えた。が、これが失敗だったと気づいたのは、まさに後の祭り。
 すでに西日が当たらなくなっている落ち着いた旧道を進む。途中、左手にのっぽの木が植わっていた。ここは、伊庭貞剛の屋敷跡だという。この人物、住友財閥の中興者だというが、私は知らなかった。帰宅して色々と調べてみたら、かなりの人物でした。そうこうしているうちに、ほどなくして武佐駅に到着。
 電車が到着するまで20分ほどあったので、どこかで夕陽が見れないかと周辺をウロウロしてみたもののこんもりした緑の森に邪魔され、残念ながら夕陽が沈む様を見ることが出来なかった。仕方なく、駅から西方面を撮影。今日は、何もかもが初めての歩きだったので、新鮮味がたくさんあったが、欲張りすぎて予想以上に時間がかかってしまった。それでも、予定通りの場所まで歩くことが出来たので満足。3連休も明日で最終日。ようやく雨に降られなそうな日になりそうなので、今日以上に充実した歩きが出来るといいな〜なんて思いながら、電車を待つのでした。(つづく)
今日はきれいな夕焼けが見れそう
傾き始めた太陽
すでに日が沈んだ裏道をゆきます
もうすぐ武佐駅
左ののっぽの木のところ
伊庭貞剛の屋敷跡
日が沈む最後まで見れませんでした
武佐駅より
→第三日目|草津−武佐 へ


歩数計 35,627歩
カロリー 1,757.0kcal
距 離 24.93km
時 間 8:45〜17:40
支 出 交通費|−−円
飲食費|−−円
その他|200円(見学料)

2004.10.05update


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