#第2日目|草津−武佐 平成16年(2004)9月19日(日) 天気:晴時々曇一時雨


中山道行程図〜第二日目|草津−武佐


■中山道第二日目スタート!

 寝坊した。目覚ましを切ったことは覚えているので、そのまま二度寝してしまったらしい。久しぶりなので、ちょっと疲れたのかどうか。カーテンを開けてみると、外には青空がっ!晴れ男炸裂!さっそくホテルをチェックアウトして街道に復帰。

■草津宿本陣を訪ねる
 寝坊したお陰(?)で、草津宿本陣に到着したのは9:00。せっかくなので見学していくことに。もちろん、一番乗り!東海道時もじっくり見学しているので、特別な感慨はなかったが、大河ドラマの影響か、「本陣と新選組」と書かれた企画展示などがあった。ついでに、雑記帳にも一言記載して、再び街道に復帰。
玄関広間 畳廊下 本陣と新撰組 企画展示 上段の間
雑記帳 湯殿 御膳所 本陣外観


■東海道放浪・三条大橋以来の躊躇が・・
草津隧道を行こうとした瞬間、足が・・
【このトンネルの先に未知の中山道が・・】
 草津宿本陣を後にしてほどなく、昨日見た草津隧道へ。9:23、ついに未知の空間へ・・・と思いきや、思わず新たな一歩を踏み出すのに躊躇してしまった。躊躇したのは三条大橋以来だ・・。
 ただ、東海道の時と異なるのは、三条大橋では、東海道の旅が終わってしまうことの寂しさから。しかし、今回は、これから出会う様々な事象への期待が、無意識に作動したものと推測される。<実際は、そんな風に分析できるものじゃないだろうけど


■今昔木曾街道六十九次−草津追分−
 広重の描いた木曾街道六十九次の草津追分は、手前に草津川、中央奥に常夜灯を兼ねた標柱が描かれている。本当は、天井川が見えるように上がって撮影をすれば良かったのだが、当時の草津川は天井川ではないと勘違いし、トンネル中央部から同じような構図で撮影してみたのでした。なお、方角は東から西に向かって。
木曾街道六十九次 草津追分 広重作 かつて広重に描かれた草津川は天井川に

 トンネルを抜けると、目の前にはアーケード商店街。朝早いため、開店している店舗はほとんどない。アーケード商店街をちょっとはずれたところには、覚善寺道標。明治期のものだそうな。アーケードを抜け、左手にJR草津駅を見つつ、歩みを進めていると、左手に光明寺、さらに先に行くと右手に伊砂砂神社。この辺りから、ようやく人や自転車の流れが落ち着いてくる。
トンネル越えるとアーケード商店街
アーケード商店街
覚善寺道標
覚善寺道標
光明寺
光明寺
伊砂砂神社
伊砂砂神社

 このまま歩いていくと、鉄道により旧道が分断されてなくなっているという手持ち資料に従って、鉄道陸橋を渡って反対側に。高台から見る景色はなかなか旧道は栗東市に入り、よさげな街並みが続く。地方には、こうした街並みがまだまだゴロゴロしているのだ。
 さらに進み、綣(へそ)地区(!珍しい地名だ!)で、大宝寺、そしてその先の大宝神社などを見る。大宝神社には、芭蕉句碑があり、句碑のある公園で朝食。今日も暑くなり食欲がなくなる可能性が高いので、今のうちに腹ごしらえをしておく。
鉄道高架から東を望みます。近江富士も見えます
東を望む
よさげな街並み
栗東市の街並み
大宝寺
大宝寺
大宝神社。芭蕉句碑もあり
大宝神社と芭蕉句碑

 お腹もふくれたところで、再び出発。旧道は、栗東市から守山市へ。守山市内の旧道は、水路が流れている。水のある風景はなごみます。日差しも強くなってきており、尚更だ。緑豊かな諏訪神社などを見つつ、今宿地区のよさげな街中をゆくと、右手前方に大きく枝葉を広げた巨木が。もしや・・。
守山市も水路が流れています
守山の水路
諏訪神社
諏訪神社
もうすぐ今宿一里塚
今宿の街並み
もしや一里塚?
おっ・・右に見えるは


■今宿一里塚
 遠くからでも、その姿を拝むことができるこの塚は、今宿一里塚。江戸から数えて128番目に当たるもので、現在は南塚のみ現存している貴重な歴史的遺構だ。近辺の一里塚は、全てなくなっており、この塚が唯一当時の面影を残しているという状況。(滋賀県指定史跡)

片側だけだが、今も現役の一里塚だー



■そろそろ守山宿が近いぞ
 今宿一里塚を後に先を目指す。旧道らしい雰囲気を保っている細い道を進むと、街道脇の家屋も宿場らしき街並みと化してきた。連子格子の家屋なども見られ、気分も高揚してくる。樹下神社参道のすぐ横に吉川に架かる土橋。戦国時代には瀬田の唐橋と同様に戦略的に重要な橋であったと、樹下神社参道脇の石碑に書いてあった。しかし、現在は当たり前だが土の橋ではなく、なんてことない小さな橋である。
だんだん雰囲気が良くなって来たぞー
宿場らしき街並みが
よさげなファサード
趣のある家屋
樹下神社
樹下神社
この辺りが宿場の入口でしょうか
土橋


■今昔木曾街道六十九次−守山−
 広重の絵は、宿場町と平行して吉川が流れているが、下の写真を見てもわかるように、吉川と宿場町は交差している。そのため、広重の絵のような構図は望めない。どうしたもんかと考え、今昔風景として比較は難しいが、パーツが同じならば良いかな、ということで、土橋を手前に、奥に守山宿という構図で撮影しました。
木曾街道六十九次 守山 広重作 広重の絵は現実的ではなく、この辺という感じで撮影


■守山宿のおじさんに声を掛けられる
声をかけてきたおじさんの店舗
【話しかけてきたおじさんのお店】
 信号を渡ってほどなく左手に明治天皇聖跡と書かれた石碑があったので、写真を撮っていたら、後ろから「そんなんよりこっち来てみ」というおじさんの声が。おじさんについていくと「このゴミ箱(実際は用具入れ)は景観に配慮してるんや」「商店街で青のれんや旗を作ったんや。キャラクターは中山道400年の年に決めたんやで。いずれ‘のれんの町’にしたいんや」「5〜6年前にほたるが復活してな」「ファサードの統一をやってん」「自分が率先してやったんや」「今度道路の舗装も予定してんねん」などと矢継ぎ早に言葉が飛んできた。私はと言えば、うなずくのが精一杯だった。
 しかし、こうした地元の人とのふれあいは嬉しいものです。30分ほど話をした後、おばちゃん(お客)がやってきたので潮時だとお礼を言って先を目指すことに。色々ありがとうございました。
おじさんはゴミ箱・・と言ってましたが、要は用具入れ
景観に配慮(用具入れ)
宿場の統一のれん
のれん
目立つ赤色
ホタルが戻ってきたそうで
ホタルの居る川

■意外に宿場の趣がある守山宿
 おじさんに別れを告げると、守山宿の中心部へ。先ほどのおじさん以外は人っ子一人すれ違わなかったが、街並みそのものは、ほどよく資源が残っており、衰退している風は見られなかった。これは、先ほどのおじさんのように、みんなで宿場を盛り立てていこうという気風があるのかもしれない。そうじゃなきゃ、共通ののれんなんか作らないだろうし。
夜になると光るのでしょうか? 明治天皇。この写真を撮っていたらおじさんに声をかけられました 東門院 東門院境内のカエル
高札場跡 景観に配慮されてます 蝋燭屋(ろうそく) 守山宿の街並み
甲屋 八幡宮 宇野本家 石部道道標
馬路石辺神社へ続く参道 守山宿の東のはずれ 守山宿の東のはずれ 大学入学前短期バイトをしていた引っ越し会社


■野洲川を渡る
左の水道管?部分がかつての旧道
【左が本来の旧道ですが歩けません】
 宿場を抜け、細い旧道を歩く。宿場を抜けたあたりから、車の交通量が多くなるので要注意。さらに、道が広くなったと思ったら、前方に橋が。野洲川に架かる野洲川橋だ。かつての旧道は、写真に写る左の水道管(?)のところだが、残念ながら歩けない。なので、橋を素直に渡る。
 橋を渡っている途中、右前方には、こんもりとした近江富士(三上山)が(写真の上にマウスを載せて下さい)。

 しかし、雲は多いけど、見事に雨が降らなかったなぁ。<雨の予報50%

■野洲の街
 野洲川を渡ると、左手に十輪院。そのまま新幹線高架下をくぐり、落ち着いた旧道をゆく。この辺りは、すでに野洲市。宿場町ではなかったが、野洲は意外に趣ある街並みを残している。街中には「銅鐸のまち」なんていう幟(のぼり)も見られたり。しかし、ずっと裏道が続くが車の交通量は多いため注意が必要だ。蓮照寺の真向かいの茅葺き屋根の唯心寺に心を奪われ、蓮照寺内の中山道道標見そびれた!
 蓮照寺から200mほど歩いたところに、背くらべ地蔵行事神社。そして、そこからは近江富士(三上山)が雄大な姿を見せていた。
十輪院
十輪院
落ち着いたよさげな街並み
野洲の街並み
古墳が多く、それがため・・・かな?
銅鐸のまち・野洲
境内の中山道道標、見そびれました
蓮照寺
蓮照寺前の茅葺き屋根のお寺
茅葺き屋根寺
背くらべ地蔵
背くらべ地蔵
行事神社
行事神社
行事神社前より
近江富士(三上山)


■新しめの小学校横を通過
リニューアルされたばかりっぽい小学校と野洲宿碑
【新しめの小学校と野洲宿碑】
 行事神社のうっそうとした杜を右に見つつ、先を目指す。さっきまで曇っていたのに、また晴れてきたぞー・・。

 左手にきれいな小学校が見えてきた。手持ち資料を見ると、以前からある小学校のようだが、改築でもしたのだろうか。その小学校前に野洲宿碑。これも新しい(写真の上にマウスを載せて下さい)。
 しかし、最近東京の小学校を見慣れていたからだけど、小学校の校庭ってこんなに広いんだ〜としみじみ思ってしまった。

■野洲〜まだまだよさげな街並みは続く
 小学校前の道を斜めに横断。旧道は、そのまま裏道へ。左折すると野洲駅に続く大通りの信号を渡り、すぐ右折。新幹線高架下をくぐり、すぐのところによさげな家屋が見えてきた。近づいてみると、茅葺き屋根。酒屋だ。そんな酒屋を横目に、さらに先へ。日差しは弱まるどころかますます強まってくる。雰囲気のある街だけど、日陰のほとんどないのは、結構きつい。そんな時、目の前を巨大なオニヤンマがスーッと・・・・一瞬身体を秋の涼気が駆け抜けた。

 稲荷神社藍染屋などを横目に、細い道をゆく。左手には、田園風景の中を新幹線が猛スピードで走り去っていく。実際に乗っているとわからないものだが、想像以上にスピードが出ているんだなぁ。
 そんな道沿いに、案内板。「甲山古墳円山古墳右折300m」と書かれている。最初、この通りに進んでみたが、どこまで進んでもそれらしきものはなし。もういいや・・・とあきらめて再び旧道に復帰し、先に進むことに。
信号を渡り、すぐのところを右折
まっすぐ→すぐ右折
大きな家屋
よさげな家屋が
歴史を感じさせます
茅葺き屋根の酒屋
意外に奥行きのある稲荷神社(実際に足を運んでませんが)
稲荷神社
藍染屋〜明治初期から続いています
藍染屋
車の往来も少なく良い感じ
よさげな旧道
左手には新幹線が
新幹線通過
この案内板にだまされました
だます案内板
→第二日目|草津−武佐 その2へ


2004.10.04update


トップページ中山道を歩く放浪日記>第二日目草津−武佐その1