#第1日目|三条大橋−草津 平成16年(2004)9月18日(土) 天気:晴のち曇時々雨


中山道行程図〜第一日目|三条大橋−草津


■今昔木曾街道六十九次−大津−
 蝉丸神社下社を後に、さらに道を下ったところで、写真を一枚。この辺りが天保13年(1842)前後に歌川広重及び渓斎英泉によって描かれた「木曾街道六十九次」のかつての風景。大津宿は、広重画。
 広重描画時は、遠方に琵琶湖が見えているが、現在はマンションが建ち並び、見えるべくもない。もっとも、広重も大げさに描く傾向もあるので、当時も果たして見えたかどうか。
 今後、各宿場毎にこうした今昔風景を掲載していく予定です。
木曾街道六十九次 大津 広重作


■大津宿をゆく
 明治天皇聖跡と書かれた石碑(本陣跡)を右手に見つつ、札の辻で右折。大通りから旧道らしい細い道へ入る。かつての宿場町でもあった大津は、現在でも滋賀県の県庁所在地として、大きな街を形成している。
 隣の京都の陰に隠れてしまっているが、結構古い家屋・店舗などがあちこちに見られる。しかし、街並みとしては京都には及ばず。PRできるような著名な人物や物なども見つからないことから、かつての旧東海道筋であったことしかないわけである。市としては、そのためか立派な案内板をあちこちに建てており、歩いている人間にとってはとても嬉しい配慮なのである。
旧道にふさわしい細い道をゆく 宿場の名残 宿場の名残 洋風チックの建物も
かつての宿場の名残があちこちで見られます 雰囲気の良さげなお店 夏のような空。写真の瓦屋根は成覚寺 京阪電車


■義仲寺での出来事
義仲寺
【義仲寺】
 狭い街道脇に、突然現れた義仲寺。境内は前回拝見したので、今回は門だけ撮影させてもらおうと、カメラを構えていたら、寺を訪問する観光客の車がやってきていきなり門前に駐車。あからさまに嫌な顔をしたら、それに気づいたのか、窓を開けて「写真撮りますか?」と聞いてきた。「すみませんが、下がってもらっていいですか」と答えたところ、快く応じてくれた。「ありがとうございます。」こういうやり取りはお互い気持ち良いものだ。

 再び先を目指す。しかし暑いなぁ〜。途中見かけたコンビニで飲料をゲットし、ガブガブと。食欲は全くないのに、喉だけ渇いてしょうがない。


■さっきまでの天気はどこへやらついに雨が
かなりヘビーな雨が。そのせいで道を間違えることに
【ついに雨が】
 しばらく大きな見所のないまま、膳所の町中を歩いていると、いつの間にか雲が多くなり、イヤな予感がした途端、ザッと雨が降ってきた。雨宿りするような所もなく、急いで傘をさすも予想以上の本降りでテンションが下がる。しかも、悪いことは重なるもので、地図を見ないでいたら道を間違えてしまった。はうぅ・・。
 それでも、通り雨だったようで、10分ほどでやんだので、現在位置を確認し街道復帰を果たす。今回立ち寄る予定のなかった今井兼平のお墓を再訪することになろうとは、平成17年の大河ドラマ「義経」のなせるワザか?<なんのこっちゃ


■瀬田の唐橋
瀬田の唐橋
【瀬田の唐橋】
 今回も石山駅構内を通過して、商店街の中、南下を続ける。食欲はなく、冷たい液体だけが胃に流れ込んでいく。雨が降って日差しがなくなったかと思いきや、湿度は高く蒸し蒸し感が余計に高まった。
 かつてコンビニがあった(今は閉店)交差点で左折すると、見覚えのある橋が見えてきた。瀬田の唐橋である。かつての交通の要衝は、現在でも車・人を問わず往来の激しいところだった。

 橋を渡り終え、Y字路を左折。その後、高橋川という細い川を渡ったところで、右折。交通量の少ない住宅街の中の道へと足を踏み入れる。


■月輪池公園で休憩
 ところどころにある旧東海道の案内板を頼りに歩く。浄光寺の先のT字路を左折、その後約400m先のタバコ屋の交差点を右折。平坦の道から一転、登り坂が始まる。左手に運動会が行われている小学校や、土手に咲く彼岸花一里塚跡石碑などを見つつ歩みを進める。途中、街道ウォーカーらしき人と何人かすれ違う。
 休憩をとりたがっている身体の欲望に応えるべく、月輪池近くに公園があったことを思い出し、大通りを右折。5分ほど歩くと、子供達が遊具で遊んでいる公園があり、屋根のある東屋で休憩。ラッキーだったのは、10分後ぐらいに、再び夕立のような通り雨が。屋根無しのベンチに座らなくて正解。本日初の長時間休憩に心身共に充実感が戻ってきたので、荷物をカバンに詰めて出発!あれ?雷鳴り始めたなぁ・・。
案内板があるのでチェックしていれば迷いません
タバコ屋を右折
彼岸花
秋の街道風景
日本橋から来る人は、振り返って見る感じです
一里塚跡
月輪池。右に見える建物の奥に公園があります
月輪池

■草津宿目指してただひたすら歩く
 本日のお宿を確保している草津まで、あとはひたすら歩くのみ。街道復帰してすぐに、工事現場に遭遇。あれ?この辺りに月輪池立場跡が建てられていたような・・(→東海道歴史探訪参照)。その後、弁天池(水の量が減っていた)、野路の玉川野路一里塚跡(上北池公園内に石碑あり)などを見つつ、曲がりくねる道を歩く。
 上北池公園を越え、国道を横切ってそのまま裏道へ。さっきから学生らしき人が多いな〜なんて思っていたら、近くに立命館大学があるらしい。
立場跡石碑がっ・・・
元立場跡石碑跡付近
ずいぶん水量が減ってました
弁天池
野地の玉川
野路の玉川
上北池公園内にあります
野路一里塚跡


■稲荷神社
 国道を渡り、小さな郵便局の近くにある赤い鳥居群が建ち並ぶ稲荷神社。一応先は見えているんだけど、吸い込まれそうなその空間に、東海道放浪に続き引き込まれてしまいました。いや、「惹き」こまれた・・かな?(→東海道写真館

鳥居に吸い込まれそうです



■ようやく草津宿へ
 稲荷神社を後に、約400mほど歩くと矢橋道との追分・矢橋道標。さらに約400mほどゆくと、草津川に架かる矢倉橋。江戸時代には、この川と橋はなかったそうだ。橋を渡ると、ほどなく左手に緑の空間が。立木神社である。神社前の交差点を渡った辺りから、草津宿に入るような感じだ。舗装も普通のアスファルト道路ではなくなっている。
 歴史のありそうな糸屋さんや店前に時季はずれの花火がたんまり売られている玩具屋さんなどをはじめとした店舗もさることながら、草津宿街道交流館、今は観光物産館の脇本陣など、歴史資源は揃っている。
東海道と矢橋道との分岐点
矢橋道標
草津川に架かる矢倉橋。江戸時代にはありませんでした。
矢倉橋
立木神社
立木神社
まだ、こうしたお店が残っているのですね
糸屋
アーケード街
アーケード街
草津宿街道交流館
草津宿街道交流館
今は物産館
脇本陣
店前には花火ばっかり
宿場内の玩具屋

■草津宿本陣
 脇本陣からほど近いところにある草津宿本陣。すでに開館時間は過ぎており、門は固く閉ざされている。こうして門が閉められていると、門というものの持つ重みが感じられてくるから不思議だ。まるで、「来るもの拒む」的なオーラが発せられているようだ。

草津宿本陣。自転車の多い街なので、写真におさめてみました


 しかし、草津は本当に自転車利用率が高い街だ。確かに、街は平坦で、旧道は車の往来も少なく、自転車が利用しやすい環境が整っているからなのかもしれないが。一度市役所にでも問い合わせて、理由を聞いてみたいものです。なので、今回はあえて自転車運転者を入れた写真を多用しています。
 一旦草津宿本陣を後に、前回トイレをお借りした公民館前のあやしげだけど面白いモニュメントを右手に見つつ、追分道標(常夜灯)と、前回やってきた東海道方面を望みます。もう2年と3ヶ月も前になるのか・・・・。感慨深いものがあります。
草津宿本陣
草津宿本陣
草津宿本陣
草津宿本陣
モニュメント
公民館前のモニュメント
追分から東海道方面を望みます。左には、追分道標(常夜灯)
追分道標と東海道


■中山道初日終了
いよいよ明日は見知らぬ土地へ足を踏み入れます
【明日は未知の道をゆきます】
 ここで中山道放浪第一日目は終了。初日から26km近くを歩き、ちょっとバテ気味だが、その疲れも今は心地よいものに変わりつつある。いよいよ明日からは、未だ目にしたことがない景色が待っているわけで、胸の高まりを抑えきれない。

 私は、明日ゆく道を、いつまでも見つめていた。って、道の真ん中に突っ立って人や自転車の往来の邪魔をしていただけなのであった。(つづく)
→第二日目|草津−武佐 その1へ


歩数計 36,817歩
カロリー 1,854.8kcal
距 離 25.77km
時 間 9:03〜17:15
支 出 交通費|0円
飲食費|970円
その他|0円

2004.10.03update


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