#第1日目|三条大橋−草津 平成16年(2004)9月18日(土) 天気:晴のち曇時々雨
■三条大橋〜終焉の地から旅立ちの地へ〜 ついにやってきた・・・東海道終焉の地「三条大橋」。もう2年3ヶ月も前になる・・。東海道を歩き終え、一人感動でむせんでいたこの地へ、再びやってきた。三条大橋は、あのときと変わらず、日常生活に溶け込んでいた。今この時この場所で、この空間を特別な場所だと感じているのは、ただ一人しか居ない。今この瞬間から、三条大橋は、終焉の地から旅立ちの地へ変わろうとしている。さあ、中山道放浪のはじまりはじまり〜。 |
■高山彦九郎像に見守られていざゆかん!
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真東に向かっている道を歩く。この付近は、まだまだ中山道(東海道)というよりも、京都というイメージが強い。白川の穏やかな流れを右手に、東山YH(ユースホステル)を過ぎると緩やかな登り坂がはじまる。左手に、平安神宮の大鳥居が見えるはずが、あいにくの修理中。桓武天皇1200年祭記念事業で行っているとのこと。花水木の続く通りで右手を見上げると都ホテル。突き当たった信号で右折。この辺りから、坂が急になってくる。道横にある電光掲示板には、すでに28℃の文字がっ。雨の予報だったのに、雨はいずこへ?今日は、暑くなりそうだなぁ。 |
白川 |
東山YH前 |
都ホテル |
すでに28度 |
■車石
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■日ノ岡峠 広場を過ぎると、府道を右折して裏道へ入る。車一台がやっとの細い道に集落がひしめき合い、往時の面影が感じられるのだが、いかんせん車の交通量が半端なく多く危険。一方通行なので、日本橋に向かう人は前方、京都に向かう人は後方に注意しましょう。 |
国道を逸れて裏道へ |
細い道が続く旧道 |
亀水不動尊 |
突き当たりを右に |
■山科地区 府道合流後、天智天皇陵の緑の山を左手に見つつ、鉄道高架下を越えたところで左折。先ほどまでとは一転して人・自転車そして車の量がグッと増える。商店街に掲げられた横断幕には三条街道の文字が。三条街道?もう一つ気になったのは、ピンクの(粘土)ネコ。たくさんの商店前に見られたのだが、何かのおまじない? |
ピンクネコ1 |
鉄道高架下を越えて左折 |
三条街道 |
ピンクネコ2 |
道標 |
大丸 |
ピンクネコ3 |
交通量の多い山科 |
■京都から大津へ
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歩道橋を渡り終えた先の旧道は、再び登り坂。相変わらず日差しは強く、だんだんと体力が奪われていくようだ。しかし、車の往来がほとんどない落ち着いた街並みを歩くのは気持ちよい。ゆるゆる登り坂を進むと、三叉路のところに伏見街道への追分道標。この辺りからいったん登り坂も落ち着き始め、派出所が左手に見えると国道に合流。ここからしばらく国道沿いを歩く。 |
再び登り坂 |
追分道標 |
派出所を右折 |
まだまだ続く登り坂 |
■月心寺の走井 東海道の時にも立ち寄った、国道沿いに落ち着いたたたずまいを見せていた月心寺。ところが、あいにく建物の一部を修復中で、歌川広重の東海道五十三次の絵にも描かれた走井が見られないかと思いきや、こちらは以前と変わらぬ空間がそこにはあった。ただ、前回に比べ、ずいぶん苔むした感がありました。(→東海道で見た走井) |
■逢坂山を越えてやっと下り坂へ 月心寺を過ぎると、前方に歩道橋。これを渡って大谷地区へ。うなぎの老舗・かねよなどが軒を連ねる大谷地区は、すぐ脇の国道の騒がしさから分離された落ち着いた空間を持っている。東海道の時に休憩した蝉丸神社分社を左手に見つつ、短い大谷地区を終えて再び国道に合流。合流地点には、逢坂山碑。この地へまたやってこれた・・そんなことを思いつつ逢坂山を越え、ようやくここから下り坂が始まる。 |
大谷地区 |
蝉丸神社−分社− |
逢坂山碑 |
歩道無し |
■関蝉丸神社上社での衝撃
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名神高速道路高架下をくぐる辺りで、街道ウォーカーらしき団体とすれ違う。さらに下ったところにある蝉丸神社下社で10分休憩。予想外の暑さに少しバテ気味だが、今日草津まで行けるのか? |
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2004.10.02update