日常日記


2005年04月10日:No.097観桜2005+プチ与那国
2005年04月16日:No.098電脳浮世絵展
2005年05月16日:No.099半年ぶりの中山道放浪
2005年05月22日:No.100木曽路
2005年05月28日:No.101木曽路を想ふ
2005年06月25日:No.102水無月は街道歩きに適した季節か
2005年07月18日:No.103日光御成道踏破!
2005年07月30日:No.104井上靖文学紀行

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 2005年4月〜7月 

2005年4月10日:No.097観桜2005+プチ与那国
青山霊園の桜並木
東京タワーと増上寺と桜
桜どアップ

与那国島空撮
 年度が変わっても忙しい日々が続いており、すっかり更新が滞っております。先月歩いた日光街道の放浪日記、早くアップしないと忘れてしまうぅぅ〜。

 さて、blogでもちょこっと書きましたが、7日〜9日まで沖縄へ出張に行っていました。昨日深夜に帰宅しまして、身体はクタクタでしたが、日曜日(今日)を逃すと、今年の桜をゆっくり見る機会がなくなると思い、一念発起、朝6時に目覚ましをかけて、出かけてきました。
 日光街道沿いの権現堂桜堤(幸手市)は、ちょっと遠いので、桜並木が続いているところを近場の東京で探しました。で、まず向かったのは、青山霊園。桜並木の両脇には、その名の通り霊園なのですが、風に舞い散る花びらがその空間を優しく包み込んでくれました。
 次いで向かったのは、六本木ヒルズ。ヒルズ内の庭園に桜が数本。都会の中のオアシス的な場所。そのままブラブラ麻布十番を抜けて東京タワーを横目に増上寺境内へ。ここも桜が満開。しだれ桜が見事でした。
 結局3時間ほどの散歩でしたが、頑張って早起きして良かったです。東京は、午後から風が強くなり、明日から雨。明日は舞い散る花びらを見ることが出来ると同時に、終わりゆく春を感ぜずにはいられない日となりそうです。一応、これらは別途旅情紀行として早めに掲載しようと・・・・思ってます。


 それから、沖縄出張の件ですが、主な訪問地は、日本の最西端・与那国視察でした。もちろん仕事で訪れたため、がんじがらめで自由に観光できませんでしたが、役場の人に案内してもらって、島を見て回ることが出来ました。
 こちらも、旅情紀行として、掲載したいなーと思っています。その前に、与那国を空から撮影した写真を1枚掲載してみます。


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2005年4月16日:No.098電脳浮世絵展
辰春さんの電脳浮世絵完成展・平成東海道五拾三次
展示風景
 今日の午前中、青山に辰春さんの個展へ行って来ました。辰春さんは、東海道、中山道を踏破した強者で、かつパソコンを駆使した電脳浮世絵を描くアーティストでもあります。しかし、ご本人は、そんなアーティスト風な一風変わった方ではなく、とてもダンディな大人な方です。
 3年ほど前にお会いして(2002年11月24日日常日記参照)、今回で2度目です。
 オープンしてすぐに訪問したので、おそらく本日の一番乗りだったでしょう。顔を覚えてもらっていたのが嬉しかったです。お会いするのは久しぶりですが、そんな感ではなく、すでに旧知の間柄のように、街道話に花が咲きました。その後、同じく街道歩きをされているガチャピンさん(違っていたらスミマセン)も訪問し、東海道歩きの話で盛り上がりました。
 前回に引き続き、今回も仕事に追われて、1時間ほどでおいとましてしまいましたが、またゆっくりと話をする機会を設けたいものです。

 というわけで、本日の写真は、辰春さんの個展の風景です。もちろん、辰春さんの許可を得ていますよ。

 電脳浮世絵 Tatuharu's World

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2005年5月16日:No.099半年ぶりの中山道放浪
2日目に宿泊した大黒屋
八瀬沢一里塚と琵琶峠の石畳
 2004年11月以来、約半年ぶりに中山道を歩きに行ってきましたー。半年ぶりなのに、1日平均歩行距離約24kmで3日間、しかもコースの半分以上が峠道という、今までにない行程・ルートであるため、果たしてどうなるか想像も出来ませんでした。が、終わってみれば、全て予定通りの歩きが出来ました。途中、雨に降られたのは予定外でしたが。
 はっきり言って、靴の効果は絶大です。今回は、マメが全く出来ませんでした。高い靴を買って良かった〜<ちょっと意味が違う

 さて、今回のルートは、以下の通り。
1日目:加納宿−太田宿
2日目:太田宿−細久手宿
3日目:細久手宿−大井宿
初日は、前半の国道歩きに参りましたが、鵜沼宿から謡坂を過ぎて、木曽川沿いのルートは気持ち良かったです。2日目は御嵩宿手前で雨に降られ、どうなることかと思いましたが、そこからの謡峠等の峠越えルートは、自然豊富で素晴らしく、宿泊した大黒屋さんも風情満点!そして3日目は、雲一つ無い快晴のもと、琵琶峠や十三峠等の峠越え中心のルートでしたが、なんとか歩ききることが出来て、今はホント人心地ついているという状態です。
この模様は、いつものように道中記をつらつらと綴っていきたいと思います。

というわけで本日の写真は、迷いに迷って2枚。1枚目は2日目に宿泊した大黒屋。2枚目は現存している一里塚の中から八瀬沢一里塚&琵琶峠石畳コンビ。

ホント楽しかったー。でも、疲れたー。


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2005年5月22日:No.100木曽路
三ツ池公園内の池とツツジ
三ツ池公園内のツツジ
 前回、日常日記で書きましたように、中山道の旅は現在大井宿(岐阜県恵那市)まで到着しています。前回歩き終えた後に、次回の行程を考えていた時、当初、大井宿から中津川宿までを想定していました。この区間、距離は10kmにも満たないのですが、その先に進むと鉄道駅がしばらくないためです。が、よくよく考えてみると、次回は美濃路から一気に木曽路に突入する行程が可能であることに気づいたのです!
 と言うわけで、本日、中山道歩きの参考資料としている「歴史街道トラベルガイド 中山道の歩き方 木曽路をゆく」(学研・児玉幸多監修)を購入してきました(税込1,680円)。

 まだ、いつ、何泊、行程など全く決めていませんが、いよいよ中山道歩きの真骨頂である馬籠宿、妻籠宿を歩くわけですから、たっぷり楽しめるように綿密な計画を練ろうと思います。特に、宿泊。距離的に、恐らくどちらかの宿場に宿泊することになると思うのですが、有名な観光地であるためか、お1人様お断りのところが多いんですよね。とりあえず、候補地を馬籠、妻籠そして大妻籠に絞っていきたいと思います。うわー楽しみだー。本当は紅葉の時期か雪積もる真冬に行きたいんですが、紅葉の時期は混むだろうし、雪積もると峠を越えられなくなるし、さてさてどうなることやら(まだ他人事のようです)。

というわけで、今回の写真です。近所の(と言うほど近所じゃありませんが)三ツ池公園というところで、今月初旬に撮影してきたツツジの写真です。本文と全く関係ありませんが、このままお蔵入りになりそうなので、ちょっと時期がずれますが載せちゃいます。でも、先週歩いた中山道では、ツツジがちょうど見頃でしたよー(と、ものすごーく強引に結びつけてみたりしちゃったりして・・)。


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2005年5月28日:No.101木曽路を想ふ
行きの新幹線車内より田園風景を望む
宮城県唐桑町の折石
東京と一月季節がずれているためか、八重桜がキレイでした
 相変わらず更新が滞っています。前回の中山道の放浪日記ですが、ようやく写真選定も終わり、ぼちぼちと執筆作業にとりかかっています。なんとか、明日までに1日目の作業くらい終わらせたいと思っています。

 さて、そんな滞っているサイト更新をせずに、時間を見つけては、次回の中山道に想いを馳せて、ルートを辿って楽しんでいます。とりあえず、次回の行程は、馬籠宿泊になる可能性が高くなってきました。大井宿から馬籠宿までは約18kmなのですが、大井宿のひし屋資料館&広重美術館、ならびに馬籠宿の藤村記念館をはじめとした4施設に立ち寄ると、とても妻籠宿まで行けそうにありません。特に、大井宿の2施設は開館が9時からなので、出発も遅くなってしまいますし。
 しかし、朝一に東京を発ったとしても、前回終了地点の恵那駅に到着するのは9時を過ぎているんです。電車の本数が少ないんです。
 しかも、さらに驚いたのが、次回の終着地点として予想される十二兼駅や野尻駅等のさらなる本数の少なさと言ったら!1時間に1本は当たり前で、それすらもない時間帯があります。これには驚いてしまいました。以前、仕事でしょっちゅう山北(神奈川県)を訪問していた時、その電車の本数の少なさに愕然としていましたが、それすら上回ります。
 駅で1時間待ちならぬ、下手したら2〜3時間待ちという最悪の事態もあり得るのです。これは、念入りに計画を立てないと。
 というわけで、6月に梅雨の合間を見た突発的な出発の可能性もありますが、基本的には10月の連休を視野に入れていきたいと思います。もしくは、紅葉の時期に合わせた11月の可能性もありかなぁ。

 さて本日の写真は、水・木と行って来た気仙沼出張の写真です。1枚目は、行きの新幹線車内より撮影した田園風景です。場所は栃木か福島辺り。2枚目は気仙沼市の隣・唐桑町(気仙沼市と来年合併予定)の名所・折石です(中央のにょきっと生えた石)。3枚目は、ちょうど見頃の八重桜。こちらと一ト月ずれてまして、ツツジも見頃でした。


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2005年6月25日:No.102水無月は街道歩きに適した季節か
ガクアジサイ in 幸手権現堂堤
下野田一里塚 in 埼玉県白岡町
 今日は、「猛暑」の言葉にふさわしい1日でした。と言っても、まだ6月・・・・今年も異常気象と呼べそうな年になりそうです。
 梅雨入りしたのに、ほとんど雨は降っておらず、特に九州四国地方の水不足は、農作物への悪影響が心配されます。どこかの町で雨乞いの儀式もやっていましたから・・・。その甲斐があってか(?)天気は下り坂で、明日には九州地方で雨が降るようです。

 今日の「猛暑」の最中、何を血迷ったか、街道歩きに出掛けてしまいました。しかも、「日光御成道」という新たな街道です。東大前の追分から、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻の4つの宿場を経て、幸手宿で日光街道と合流する街道で、日光社参の際に、徳川の歴代将軍が通ったルートです。
 今日は、そのうち、幸手宿をスタートして、岩槻宿まで約17km歩きました。はっきり言って死にました。暑さと、光化学スモッグで・・・。今も息を吸い込むとゲホゲホと咳き込んでしまいます。やんなっちゃいますね。
 そして、体重も2kg以上減りました。もっとも失われたのはほとんど水分なので、すぐに元通りになりますが、どれだけ汗をかいていたんだ・・・ということですよね。しかも、道中にて計3.5リットル以上水分補給してるのにも関わらずですよ!とにかく無事に歩けて良かったです。
 ちなみに、先週は日光街道を幸手から小山まで歩きましたよ。過去最長の35km・・・自分で自分を褒めてあげたいです。この2つ、早めにアップしたいと「思って」います。

 今日の写真は、1枚目は幸手宿の権現堂堤で撮影したガクアジサイ。2枚目は日光御成道沿いの両塚現存の下野田一里塚。御成道は、盲点ですが、意外に一里塚が現存しているのですよ。

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2005年7月18日:No.103日光御成道踏破!
夏の花・ひまわり
旧古河庭園内の洋館
 更新が滞っております。最近平日は出張に出ていることが多く、休日は土曜日に歩きに行って、日曜日はグッタリしているので更新がままならない状況です。

 さて、街道歩きを始めて5年目になります。昨年までは6〜8月の期間中、熱中症や日射病などになる危険性があるため、歩くことを避けていました。唯一歩いたのが2002年6月東海道踏破時ですが、この時も6月と言いつつも初旬でした。
 しかし、今年は何かに取り憑かれたかのように夏になっても街道歩きをしています。理由の一つは夏バテしないような体力づくり、もう一つは燃焼系運動。
 もっとも、遠出をするわけではなく、気分が悪くなったらいつでも終了できるように、鉄道駅がたくさんある関東近辺を歩いています。その甲斐あって、一昨日に日光御成道を踏破しましたよー。前回の日常日記で記載している通り、東大前の本郷追分で中山道に別れを告げ、川口・鳩ヶ谷・大門・岩槻を経て幸手宿にて日光街道と合流する街道です。
 この街道、途中歩道がなく危険な箇所がありますが、関東近辺にしては歴史資源に恵まれています。いずれ、地図付きの放浪日記をアップしたいと思います。

 そして、禁断の夏歩きは、また新たな街道シリーズをスタートさせますよー。次回は、東京または神奈川付近を予定してます。それでも、夏場は、やはりあまりオススメできない季節ですが、歩かれるような方がおりましたら、こまめな水分補給+食事を取ることが良いようです。あとは、日焼け止めなどを塗ることを忘れずに。

 今日の写真は、日光御成道沿いの写真。1枚目は第2回目に撮影したひまわり。夏らしいですねー。2枚目は日光御成道沿いの旧古河庭園内の洋館です。ここは、バラが有名なのですが時期が悪く咲いてませんでした。いつの日かの再訪を誓いました。

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2005年7月30日:No.104井上靖文学紀行
洪作少年の遊び場だったへい淵(今は、状態が異なってしまっています)
湯ヶ島小学校内の洪作少年像
井上靖文学館 in 長泉町
 暑い日が続きます。今日は、湿度も高く、1日蒸した日でした。そんな気候下、伊豆半島の中央部、旧天城湯ヶ島町(現・伊豆市)を訪問しました。目的は、某マイナー雑誌に連載している紀行文の取材です。もっとも、旅好きな私にとっては、プライベートとして訪れたい気持ちもあったので、仕事割合は80%くらいでしょう。

 今回のテーマは、天城湯ヶ島が生んだ文豪・井上靖さんの生まれ育った「しろばんばの世界」を巡ることでした。井上靖氏は、私の好きな小説家ベスト3に入る方です。氏は、生まれは旭川ですが、小学校までは天城湯ヶ島で、血の繋がっていない祖母に育てられます。それを自伝的小説のような形で発表しているのが「しろばんば」です。

 今日は、当初の天気予報では曇りでしたが、バスを降りた途端、ものすごい日差し・・・あーこれも晴れ男のパワーなのでしょうか。

 以前、下田街道を歩いた際にも当然訪れているわけですが、その時は井上靖と下田街道と天城湯ヶ島を結びつける資料もなかったため、その空気だけを感じ取ったにすぎませんでしたが、今回は強力な資料を入手出来たので、それを片手に辿りました。暑かったのですが、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
 その後、場所を移して、長泉町の井上靖文学館を訪問。ここを訪れるのは2年ぶりですが、いつ行っても良いです。氏が、死の直前まで執筆していたことに驚き、その絶筆となった文章に、思わず息を呑みました。

 今回の旅路の模様、どこかで公表できる機会があれば、公表しようと思います。
 さて、今回掲載の写真は、上から「へい淵(氏をモデルとした洪作少年が遊んだ川淵)」、「洪作少年像」、「井上靖文学館」です。


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